2016年4月APJE研修会 報告

2016年4月APJE研修会

スペイン語母語話者のための日本語教育 ーみんなで解決しよう、日々の悩みー

森本祐子先生
森本祐子先生

4月24日(日)、 APJE勉強会の「森本ゼミ」でもお馴染みの森本祐子先生を講師にお迎えし、今回初めての試みである日曜日の研修会がマドリードのCentro de Negocio Lagasca にて開催されました。

素晴らしい天気に恵まれたマドリード・マラソンと偶然にも時を同じくして開かれた研修会でしたが、こちらも30名を超える参加者で学ぶ熱気にあふれていました。

 

出発点と到達点

研修会は、スペイン語母語話者のための日本語教育を考える上での出発点として、マドリード・アウトノマ大学の言語学者Moreno Cabrera の観点に注目することから始まりました。学習者の出発点(母語=スペイン語)と到達点(ターゲット言語=日本語)の共通点・類似点や相違点にまず注目。「到達点だけを考慮した外国語学習は学生にとって不親切であり、教師にとっても不効率だ」とする立場は、日本語クラスでの日常だけでなく、日本語母語話者の私たちがスペイン語を学習した経験からもうなずけるものです。

次に、練習問題として両言語の発音を整理し、発音体系の違いから生まれる珍現象や困難について検討しました。スペイン語の「プロ」である森本先生がスペインの銀行に電話し、名乗るときに「clienteの者です」と言ってもどうしても聞き取ってもらえない、という例は日本語母語話者にとってclの発音がいかに難しいかを物語っています。また、似て非なる発音の例としては日本語の「らりるれろ」の発音とスペイン語の r があり、スペイン語母語話者は日本語の単語内に n と r が連続していると r を巻き舌で発音してしまう傾向があるそうです。

 

新しい言語体系の構築

また、ターゲット言語へのアプローチ方法としてHatchの説をとりあげ、学習者が外国語習得にあたって母語から出発し、ターゲット言語を新しい言語体系として整理していく作業について考えました。この作業は0. 移行 1. 融合 2. 「ターゲット言語にはあるが母語にはないもの」の整理 3. 同じものを再解釈する4. 新範疇を作る 5. 一つだったものを分割する、の6つに分かれます。

外国語学習者がターゲット言語を使うときに起こる「まちがい」は、これらの作業のうちのどれかがうまくいっていないから。日本語教師がスペイン語の特徴を知り、学習者がどこでつまずいているのかが把握できれば、その都度適切な方法で説明したり訂正したりすることができます。

 

参加者のみなさん

スペイン語と日本語のちがい

さらに、両言語における前置詞・助詞 (スペイン語のcon, en等と日本語の「てにをは」) や言い回しの「守備範囲」のずれ (Lo siento と「すみません」)、日本語の「…は…です」とスペイン語のser文などの例から、スペイン語の文法用語を使って日本語の文法を説明したり、「日本語の何々はスペイン語の何々と同じです」と言いきるには細心の注意が必要だということがわかりました。

学習者にとっても教師にとっても初級最初の難関である文型「…は…です」についても、ゆっくり時間をかけて検討しました。「…は…です」については、これまでに言語学のさまざまな分野からいろいろなことが言われてきましたが、日本語学習者に役立つ説明は「主題・テーマの『は』」で、「主題+コメント=発話」という情報構造の視点に基づく見方です。

スペイン語において、これに近いものに目的語の「焦点化・主題化」があります。

Las sillas, las podéis limpiar vosotros mismos. 椅子はあなたたちがきれいにしてよ。(主題化)

Vosotros podéis limpiar las sillas.         あなたたち、椅子をきれいにしてよ。(普通文)

 

最後に、スペイン語と日本語における「受け身文」について考察しました。

スペイン語では、次のような受け身文が見られます。

La casa fue destruida hace unos meses. (行為を受けることを表す受け身文)

Messi es considerado por muchos el mejor futbolista del mundo.(状態を表す受け身文)

Aquí no se respetan los valores tradicionales. (再帰受動文)

 

日本語の「受け身文」はまたちょっと違っています。

兄が母にしかられる。(直接受け身)

太郎は先生に絵をほめられた。(持ち主の受け身)

駅で財布を盗まれた。(持ち主の受け身)

隣の住人に一晩じゅう騒がれた。(間接受け身)

彼女が煩く感じられる。(自発受け身)

太郎はみんなに陽気な人間と思われている。(直接受け身)

 

日本語を教えるとき、これらの違いを把握することなしに一言で「受け身文」で片付けてしまうと、スペイン語の受け身文の知識だけではカバーしきれない部分がどうしても出てきてしまうので、スペイン語にはない日本語特有の受け身文についての説明が必要になってきます。

また、日本語では受け身文で言いたい内容をスペイン語では受け身文では言わない、というケースもあります。

Ayer entraron a robar en la tienda de al lado. 昨日どろぼうに入られた。

Dicen que es bueno hablar sobre estas cosas. …と言われている。

このように、スペイン語母語話者が日本語を新しい言語体系として整理していく作業において、発音や単語などの細かい部分から「受け身文」のような文法項目までにわたって、常にそれぞれの言語が持つ各アイテムの守備範囲のずれを意識する必要があります。

こう考えると、スペイン語母語話者が日本語を学習していくのは、わたしたち日本語母語話者がスペイン語を学習するのと同じような、あるいはそれ以上にとてつもない作業に見えてきます。しかしながら、外国語学習時に避けて通れない困難を最小限に抑えるのは、ガイド役となる日本語教師の力量にかかっているということが言えるのではないでしょうか。

3時間半にもわたる研修「スペイン語母語話者のための日本語教育−みんなで解決しよう、日々の悩み−」は実例・練習問題が盛りだくさんで、森本先生のパワーあふれる語りとユーモアの牽引力のおかげであっという間に終了時間を迎えてしまいました。

これからも「森本ゼミ」が楽しみですね!

講師の先生と一緒に
講師の先生と一緒に

(執筆者:古屋まり子)